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「お客様が育ててくれたんだよ」

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【コラムニスト】
日立電子サービス株式会社 教育統括本部 
コンピュータシステム技術学校   校長   山田 保 様
【コラムニスト紹介】
山田様は、日立電子サービス株式会社に入社して37年。そのうち現場に就いた期間は32年。先輩や上司の皆様あっての私、というよりも「“お客様”あっての私」とおっしゃっています。
現在、コンピュータシステム技術学校の校長として新人の皆様の指導に当たっていらっしゃり、「これから現場に出る新人にお客様と接する際の参考になれば」というお気持ちで、生い立ちから現場での経験談を通し、“お客様”あっての私を伝える機会を作っていらっしゃいます。
これから数回に渡り、サービス一筋で邁進された姿を現場での経験を中心にご案内致します。
 

第5回コラム 東京営業所日産神奈川課(秦野地区保守)時代

当時(1970年初頭)はフォークソングが流行っていまして、ピーター・ポール&マリーやブラザーズフォー、ジョンバエズ、ボブディラン、日本ではマイク真木、森山良子など反戦メッセージを歌うのが主流でした。その中でいきなり吉田拓郎が広島から出てきたのです。彼の音楽はとても洗練されていて、とてもインパクトがありました。暇さえあれば寮の廊下で、夏場は上半身裸になって拓郎の曲を弾いていました。寮の仲間と、自主制作レコードも出しました。3人でバンドを組み、私はボーカルとギターを担当。小型のミキサーやマイク、オープンリールの録音機等の機材を購入し、スタジオ代わりに寮の風呂場を借りて(よく響いてうまく聞こえました)録音しました。市内の業者にレコードを50枚作ってもらい、仲間内に配りました。結構評判が良かったですね。今、そのレコードが手元にないのが残念です。

当時、藤沢の市民会館で“民音祭り”を、開催していました。年1回、神奈川地区の企業が協賛し音楽の好きな人がステージに立つ機会を作っていたんです。私も、日立の代表として出場する機会があり、ギターの弾き語りをしました。拓郎も使っていた12弦ギターを購入し、ハーモニカをつけて歌いました。今なら、恥ずかしくて出来ませんが、若さって素晴らしいですね。
先日、当時の仲間がその時録音したカセットテープを持ってきてくれました。聞いてみると、懐かしいやら恥ずかしいやら。青春の思い出です。

当時の保守作業ではマニュアル通りに対策しても、なかなか修復せず、長年の経験や勘が頼りなところがありました。先輩方は、保守作業のノウハウを、ハンドブックという形でまとめていました。当時はワープロ、パソコンなどない時代で、手書きで作っていましたので、作るのには相当時間がかかったと思います。対策の勘所は滅多に教えてくれませんし、ハンドブックもなかなか見せてはくれません。先輩の後ろに立って、必死に技を盗んだり、いないときにこっそりハンドブックを見ていました。こちらも必死でした。
当時の保守員は、時代の最先端の技術者と見られていましたので、女性にモテましたね。お客様からはケーキ付きでお茶を頂いたり、作業服をお客様先に忘れると、ちゃんと洗濯して頂いたり、お客様の旅行に一緒につれて行って頂いたりもしました。今では考えられないですね。私もお客様先に駐在して3交代勤務をやっており、お客様とは、気心も知れていましたので、毎日が充実していて、本当にいい時代でした。

入社4年目に、「辞めたい」と思いました。私は母一人子一人で、学生時代を含めると9年間も北海道の母と離れていましたので、そろそろ一緒に暮らし、親孝行をしなければと思っていた時期でした。悩んだ末、上司に話をしたところ、就職時に私の面接をして下さった勤労部長に話をしてくれ、相談にのってくれました。その後、関係部署に働きかけて戴き、北海道(室蘭)に転勤することになりました。今でも感謝をしています。
新入社員には、この体験を通して「一所懸命に仕事をしていれば、必ず誰かが見てくれていて、困ったときには力になってくれる」と語っています。

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